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先祖を150年、遡る [これから日本の話をしよう!]

先日、仏壇の位牌と父の話をもとに、先祖をさかのぼってみた。

親の、親の、親の、親まで、何とかさかのぼった。幕末から明治にかけてのころ。だいたい、150年くらいを遡ったことになる。

私を入れて、5世代の、時間を越えた旅だ。なるほど、聞いてみればそれなりに、それなりの歴史があるものだ。もちろん、本に載るような派手な話はまったくないのだけれど、人が一生、そこで生きるということは、それなりのドラマが残るものなのだ。


血のつながりがあっても、何世代も経れば、他人も同然だ。共通の話題なんて、当然ないわけだし、顔を見ても、親近感がわくのかどうかわからない。もし会うことができたとしても、親しみあう仲になれるのかどうかはわからない。


逆にいえば、血のつながりだけがある。

そして、それがなければ、今の私は存在しないわけだ。


私がそのとき、先祖を遡らなかったとしたら、今回聞いた話のいくつかは、そのまま歴史の底に埋もれ、未来永劫、誰からも思い出されることがなかった・・・かもしれない。思い出す必要のある内容でもない。何か、目に見える価値があるわけでもない。しかし、私はとても重要な話を聞いた気になったし、それは大切なことであると思う。


遠いご先祖に思いを馳せる。ご先祖様も、私がいる土地に、何十年も生活していた。時を刻んでいた。


今から150年後、私の知らない、見たこともない子孫が、私に思いを馳せてくれることがあるのだろうか。


そのときには、君はもしかしたら興味がないかもしれないけれど、もし君が望むのなら、10世代遡れるような何かを残しておこう。

先祖を千年、遡る (幻冬舎新書)

先祖を千年、遡る (幻冬舎新書)

  • 作者: 丸山 学
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2012/03/30
  • メディア: 新書



「家系図」を作って先祖を1000年たどる技術 (DO BOOKS)

「家系図」を作って先祖を1000年たどる技術 (DO BOOKS)

  • 作者: 丸山 学
  • 出版社/メーカー: 同文館出版
  • 発売日: 2009/07/07
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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太陽の異変 [これから日本の話をしよう!]

確か先週だったと思うのですが、太陽にタイヘンな異変が起こっているとのニュース記事を見ました。

国立天文台によると、太陽の磁場がハチャメチャになっているらしい。
太陽観測衛星「ひので」、太陽極域磁場の反転を捉えたBy国立天文台)

地球には北極・南極があり、北がS極、南がN極らしい。方位磁石のSとNですね。てっきり、北がN(North)かと思っていたが、これはNorthを指すほうをN極としたということらしい。まったく、ややこしい。


報道によると、地球もあるこの磁場が、太陽でぐちゃぐちゃになってしまったらしい。
太陽にも、地球と同じようにS極とN極があるのだが、これが太陽の場合は約11年ごとに反転する。ところが今回、反転しなかった。北だけがS→N極になったのに、南は変わらなかった。どころか、中心部がS極になるという、4極状況にあるらしい。


つまり、どういうことか。



というと、私にはわからない。


が、とりあえず心配されているのは、地球の寒冷化ということらしい。

冷害が心配だ。


太陽といえば、天照だ。天照大神だ。アマテラスだ。天皇陛下の、ご先祖様とされる。
1日、2日という単位の日は、太陽を軸に数えられている。卑弥呼は日の巫女ではないかともいわれている。

だいたい、日の本(ひのもと)なわけで、日本なのだから。


あれ?そういえば・・・。


話は変わるが、青森県に“日本中央”と刻まれた碑がある。
読みは“ひのもと ちゅうおう”である。

壺の碑(つぼのいしぶみ)をご存知だろうか?
大和朝廷の命にょり蝦夷征夷へと出た征夷大将軍、坂上田村麻呂が、矢の矢尻で書いたとされる石碑で、歌枕としても有名だ。800年前後の話だから、今から1200年くらい前のことで、この石碑が壺の碑といわれている。


青森県の日本中央と書かれた石碑は昭和24年に発見されたが、これが壺の碑かどうかの決着はついていない。

ところで、なぜ青森という、どう見ても地図上、中央とは思えない場所に、「日本中央」と刻んだのか。

一説によれば、かつては東北(蝦夷)をヒノモトと呼んでいたとか。では、日本とは何なのか。倭が、なぜ大和となり、それがなぜ日本となったのか。


興味深いところだ。

またまた一説によれば、かつての東北というのは、実際は結構進んだ文化を持つ土地だったらしい。縄文遺跡(貝塚とか)は圧倒的に東北に多いらしい。

あるいは、東北というのは、かつての先進国(?)だったのかもしれない。三内丸山遺跡とかを見ると、やはり凄いものね。


文字の歴史が残っていないからね。何ともいえないが、じゃあ、我々が今知っている歴史って、何だろうね。



まぁ、話は逸脱しまくっているが、とにかく太陽がタイヘンらしい。
寒冷化の心配がされているが、それだけですむ話だろうか?

太陽といえば、太陽系の中心にある。太陽がなければ生命は維持できない。そもそも我々の星は太陽を回っているわけで。


その太陽の異変が、地球に影響ないわけがない。


最近の天変地異、動物の大量死、ここ2~3年の各国の暴動(デモ含む)は、このあたりに!?
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それは蓄積だ。 [これから日本の話をしよう!]

今年の桜は、忙しくてゆっくりと楽しめなかった。関東の桜は散ってしまったが、東北はこれからが見所だろう。とはいえ、私自身が北上して花見を楽しむ時間もなし。

桜前線とれたて便(るるぶ)

日本人は桜好きだ。

色々な紋章に使われているし、私たちが毎日目にする百円玉硬貨の表の花も、桜だ。春を象徴し、パッと咲いて、サッと散る。その風流さは日本の精神に影響し、武士道にも通じるところがありそうだ。


では、これはいつ頃からだろうか?
昔から、日本人は桜が好きだったのか?


平安時代の古今和歌集を見ると、桜に関する歌が非常に多いらしい。

・世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし (在原業平)

在原業平といえば、美男子の代名詞だ。業平は、当時はど田舎であった東国、関東とも縁が深く、墨田区の業平橋(なりひらばし)をはじめとした業平橋が関東にはたくさんあるが、まぁそれは置いておこう。


古今和歌集に見るように、すでに平安時代には、桜は花の代名詞といっていいくらいの存在だった。


では、それ以前はどうだったのか。


平安時代より、ひとつ前の奈良時代。
その時代の歌を多く含む万葉集をみると、もっとも多く詠まれているのは萩の花で、桜は梅と比べても三分の一ほどの数しかないのだという。

参考:古今和歌集 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)


古今和歌集 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

古今和歌集 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 角川学芸出版
  • 発売日: 2007/04
  • メディア: 文庫



それが時代が流れ、桜の花に人気が移った。


和歌で詠まれ、桜の人気は更に高まったのかもしれない。
すると、桜の樹を植えようとする人が、増えるのかもしれない。

桜の樹が増えれば、桜を見る人も増えて、更に桜人気が高まったのかもしれない。
そうすると、かつては貴族やお偉方の行事だった花見を、庶民が楽しむ機会がずっと増えたのかもしれない。

桜はどんどん増える。
目にする機会も増える。

やがて、私たちは自然と、桜の花に風流を感じるようになる。



日本人だから、自然と、何の影響も受けずに、桜の花に魅せられるのか?

そうではないと思う。これは、過去から連綿と続く、何かの蓄積ゆえの結果だと思う。

貧乏舌なんて言葉もあるが、良いものに触れる機会がないと、その良さがわかりにくいモノなのかも知れない。私たちは桜に接する機会が頻繁にある。桜に対する感度は、萩や梅に比べて、圧倒的に高まるぅ~。

それは蓄積だ。
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公園のトイレに入った女性が・・・!? [雑談]

最近、YOMIURI ONLINE(読売新聞)が変だ。

トップページの、見出しだ。見出しが変だ。

例えば・・・

【見出し】公園トイレ入った女性、爆発音聞き外に出ると…

とある。
記事の内容はというと、主に次のような内容だ。

・公園のトイレに入っていた女性から110番があった。
・爆発音がして外に出たら車が燃えていた、という内容
・焼けた軽自動車の中から男性の焼死体を発見
・この軽自動車の所有者は、家出人の届出があった
・警察では身元の確認と出火原因の特定を急いでいる
(2012年4月17日17時26分 読売新聞)


見出しに、「公園トイレに入った女性」という部分、いるか?
この事件を要約する場合、それを入れることが正解なのか?


きっと、今の時代、正解なのだろう。
悲しいことに。


少し前のことだが、日経BPのコラムのランキングに、長らく「【33】私の「高性能」を知らない男と付き合っています。 」というコラムが上位に食い込んでいた。それ以外のコラムは、国政や原発や経済を憂う硬派(?)な内容のなか、“私の高性能”って・・・。


ネット時代は、見出しが一番大事なんだろう。
実際、ニーズがあり、成功例があるからそうしているのだろう。

読売は、上記のような見出しが増えている。



私は、なんかヤだなぁ・・・。
全国紙のサイトがそんな見出しをつけるなんて。

私が偏屈なだけかもしれないけど・・・。

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文化的ジェノサイドと23分間の奇跡 [これから日本の話をしよう!]

先ほど「世界に見られる、「盗まれた子ども」たち」という記事を書いた。

スペインでは道徳的な目的から、やがて金目当てに変わったらしいが、貧しい家・道徳的に問題があると見られた家がターゲットにされた。
アルゼンチンでは反対派を、オーストラリアでは先住民に対して行われ、それはある意味でジェノサイドに近い。民族に対する虐殺による抹消ではなく、ある特定のターゲットに対する文化的抹消行為だ。


これらの事件を見て、思い出した本がある。「23分間の奇跡 (集英社文庫)」だ。

23分間の奇跡 (集英社文庫)

23分間の奇跡 (集英社文庫)

  • 作者: ジェームズ・クラベル
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1988/07/20
  • メディア: 文庫


この本は、非常に恐ろしい本である。

ある学校に、新任の女性教師がやってくる。そこから23分間に起こった“奇跡”の話だ。そう、たった23分間の出来事。ページ数も少ない。おそらく、23分程度でゆっくりと読めるだろう。難しくもない。

美しいタイトルだが、しかし・・・。


あらすじを、アマゾンから引用しよう。
<「みなさん、おはよう。わたしが、きょうからみんなの先生ですよ」と新しい先生がいった。時間はちょうど9時だった。その女教師は“最初の授業”で、いったい何を教え、そして子供たちは、23分間でどう変わったのか―?自由とは、国家とは、教育とは何か、読者ひとりひとりに問題を提起する。>

ここで起こる奇跡とは何か。
それは子供たちの価値観がガラリと変えられてしまうことであり、このようなことが、もしかしたら我々に、或いは現在この地球上のどこかで行われているのではないか、と認識させられることである。

この本に対する印象、感想はリンク先のアマゾンレビュー(→23分間の奇跡 (集英社文庫))を参照していただきたいが、この本のポイントは、これを読んで、暗喩(メタファー)として捕らえ、自分の身の回りについて考えを及ぼせられるかどうかにあると思う。


まぁこの本で行われていることも、ある意味で文化的ジェノサイドといえると思う。


ところで、私は次のように思う。

じゃあ我々日本人が、日本的な文化を失ったらどうなるんだろうか?


浮世絵や金閣寺や東照宮など形のあるものだけではない。

かな文字であったり、おじぎであったり、お米と味噌汁であったり、桜が散る風景にものを思う気持ちであったり、そういうものも、日本人としての文化の範疇だ。


日本人って、何だろう?
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世界に見られる、「盗まれた子ども」たち [雑談]



「盗まれた子どもたち」とは、まるで小説や映画のタイトルのようである。

記事によると、

<フランコ政権下で「道徳教育」上、問題があるとみられる家庭から子どもを引き離すという政策として当初開始された新生児の拉致は、じきに金銭目的に変化していったとみられている。母親たちは多くの場合、子供は出産して間もなく死亡し、病院がすでに埋葬したと聞かされていたが、新生児たちは実際には他の家庭に譲られたり、売られていた。こうした母親らによる訴えは1400件以上に上り、子どもを買った側が起訴される例も増えている。>


スペインの暗部だ。
フランコの独裁政権下(1939~75年)で起こった事件らしい。

似たような事件は、例えばアルゼンチンでも起こっていた。軍事政権下(1976-83年)の出来事で、母親は反体制派で投獄され、軍の施設内で出産。出産後、女性の多くは軍用機から生きたまま裸で海に落とされて殺されたという。

そういえばアルゼンチンってスペインの植民地だったなぁ・・・などと言ってはいけないかもしれない。

同じような事例で、映画にもなった事件がある。
場所はオーストラリア。
こちらは、あからさまなやり方だった。
1869年から1969年(公式的には)までの間、様々な州法などにより、先住民であるアボリジニの親権は否定され、その子供たちは親から引き離され、施設に送られた。

このオーストラリアの問題のやっかいなところは、明確な悪意に基づいて行われたわけではないというところ。非常にやっかいだと思うし、似たような間違いを、今後、我々が行わないとも限らないと、私は思っている。

このオーストラリアの件を、実話をもとに映画化したのが、これ。

裸足の1500マイル [DVD]

裸足の1500マイル [DVD]

  • 出版社/メーカー: ハピネット・ピクチャーズ
  • メディア: DVD


裸足の1500マイル [DVD]」という映画だ。


あらすじを、アマゾンより引用しよう。
<オーストラリアの先住民・アボリジニを隔離しようとする政策に従い、アボリジニと白人の混血の少女3人が家族から引き離され、英語やキリスト教など白人としての教育を受ける。家族に会いたい彼女たちは、施設を抜け出し、1500マイル(2400キロ)もの道をひたすら歩き続けた。実話をもとに、オーストラリア出身のフィリップ・ノイスが監督したヒューマンな感動作。
先住民を教育(洗脳?)しようとするヨーロッパ人の傲慢さが下敷きになっているものの、声高に彼らを批判するだけの作品ではない。アボリジニ保護局長(ケネス・ブラナーが好演)も、あくまで良心に従って行動している部分がうかがわれ、完全な悪役として描かれないところがリアルだ。3人の少女を演じる子役たちの表情がなんとも力強く、ラストには、モデルになった女性たちも登場し、感動を新たにさせる。(斉藤博昭)>

上に書かれているように、差別や非道い行いをするものが、必ずしも悪意を持っているとは限らない。これは私たちがしっかりと認識しておかなければならないポイントだと思う。


この世の中にはわかりやすい勧善懲悪なんてないし、明確に善悪のラインを引けるものではない。今の常識は現在時点での常識であるし、それはどこかでひっくり返るかもしれない。


さて、オーストラリアの・アボリジニ隔離政策は、言い方は悪いかもしれないが、行儀のいいジェノサイドであると思う。つい最近でも東ヨーロッパやアフリカで、そしてかつてはナチスが行った民族の抹消行為。虐殺で民族を消すという行為に比べれば、という意味で行儀がいいといったが、決して許される行為ではないと思う。

当然、アボリジニの文化は断絶される。



話は飛ぶが、日本はどうだったんだろう?

縄文人から弥生人への移行は、戦闘行為があっただろうことはわかるが、しかし、上にあるような隔離政策的な、色々の形での民族の抹消的な行為はあったのだろうか?

蝦夷などという蔑称があり、あるいは土蜘蛛と呼ばれた人たちは?

例えば、卑弥呼の時代以前から奴隷、つまり生口や奴婢(ちなみに、男が奴で女が婢)とされた人があったが、それは単なる国同士の戦いに負けた人々か?それとも・・・。

或いは、神隠しであったり、童謡、例えば「ずいずいずっころばし」や「かごめかごめ」などは、まったくの無関係なのだろうか?
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人に害なす鬼は退治せねば [これから日本の話をしよう!]

プリキュアという、女の子向けのテレビアニメがある。
日曜の朝にやっているのだが、付き合い上、何度か見たことがある。
1年ごとにシリーズが入れ替わるようで、今年の2月までやっていたプリキュアは、スイートプリキュアというやつだった。今はハートキャッチプリキュアだ。


プリキュアは、もちろん女の子で、かつ戦士でもある。悪と戦うのだ。
古いほう、スイートプリキュアでは4人くらいの女の子がいた。その彼女達の、割と頻繁に出る言葉がずっと気にかかっていた。


彼女たちは、すぐに「絶対に●×▼」という。例えば、「絶対に許さない!!」といったように。


私は“絶対”という言葉が、好きではない。
絶対許さない、絶対変だよ、絶対あきらめない(これは一見よさそうだが)・・・などなどなど。絶対という他を寄せ付けない言葉に、偏屈で剛直な何かを感じるのだ。

偏屈で剛直な何かを感じるのだ、と友人に言ったら、そんなことを言っているお前に、偏屈で剛直な何かを感じるわと言い返された。



ともかく、少女であるプリキュアがすぐに“絶対”などと口癖のように言うのは、それを見ている小さな女の子達が、将来剛直になってしまいそうで、何となく感心できない。


そんな私だが、「こいつら絶対許せねぇ・・・」と思わず口に出そうな事件を目にした。


「不明9歳男児の祖父母ら、詐欺容疑で逮捕」By読売。

この事件、ご存知だろうか?

この男児は、一度も小学校に行っていない。どころか、現在行方がわからない。生後1か月半で、祖母が男児を連れて行ったと、母親は言っている。住民票上、男児と同居していることになっている曽祖母&祖母は、一度も男児と暮らしたことがないと言っている。祖父母は生活保護費を不正に詐取した詐欺容疑で逮捕されている。

では、男児はどこにいるのか!?


福祉行政に関わる人なら知っていると思うが、昔から何のための福祉だか、わからないケースが多々ある。
先日、ある公営団地でこんなことがあった。

団地内の駐車場の一角に、不正に駐車している車があった。その車のせいで、ごみ収集車が通れない。そこでアナウンスを流し、移動を促すが出てこない。そこで更に、レッカーする旨を流す。すると、出てきた。20代と思わしき数人の男たちが。で、管理人さんに怒鳴りちらし、すごんでいる「レッカーできるもんならしてみろや、ああ!?」
そして呆れた事に、謝罪を要求したらしい。謝罪を要求といっても、「謝罪を要求します」という感じでは、もちろんない。目上の、はるかに年上の男性(管理人)に対し、屈辱を与えたいだけなのだ。


そう、彼らはもちろん、お国からの補助をもらって遊んで生きている。


実質的には共働き夫婦と同じように生活しているのに、結婚すると補助が経るので、子どもが大きくなるまで内縁関係を続ける人々。

働かず、生活保護を受けてパチンコに費やし、或いは表に出ない“アルバイト”で適当に暮らすチンピラ。

年をとって仕事もなく可哀想にと思っていたら、若いときはずっと893をやっていただけの老人。


親がミイラになっても年金をもらい、子どもを虐待しても子ども手当てや生活保護費のために子どもを殴りつつ同居する輩。


そして、今回のこれですよ、これ。児童の身は安全なのでしょうか!?


多くの国民の血税が、こんな奴らに使われて、こんな奴らが存在するせいで、子どもや、近所の人や、周囲の人々が更に迷惑をこうむっていて、時に命を落とす。彼らは同胞か?違うだろ。


行方不明児童(所在不明)というのは、全国で数百人から、もしかすると千人を超えるかもしれないらしい。文科省も不明児童の把握に力を入れ始めている。

これだけ多くの子ども達が、もしかしたら、どこかでつらい目にあっているのかもしれない。それが人身売買や臓器売買の類だったら、どうする!?絶対に許せんだろう。


同胞を、鬼が喰らっているのですよ。
悪い鬼は退治しないと。反対に養ってあげてどうする。


ひとつ、言っておきたい。
我々が、今維持している平和というのは、実は非常にもろいものだ。


福島原発や津波被害の被災地で、実は窃盗やら何やらが頻発しているのは知っていると思う。

災害があっても、暴動も起きず、一定の秩序を保てた日本は素晴らしいが、しかし、それは本当はすごく脆いものなんだ。あっという間に崩れる可能性がある。

この本を読んでほしい。

日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)

日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)

  • 作者: 山本 七平
  • 出版社/メーカー: 角川グループパブリッシング
  • 発売日: 2004/03/10
  • メディア: 新書


日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)」は、故・山本七平氏の本だ。新書なので読みやすい。太平洋戦争での敗因を言及している本だが、それは戦時の状況だけに限らず、今も、そしてこれからも示唆する、非常に重要な分析になっている。

この中で、秩序が崩壊してしまった組織に、どんな人間がはびこるのかが、実際の事例のもと詳しく理解できる。

戦争というテーマがあるからといって、決して我々に無関係なものではない。いや、絶対に関係のある事柄なのだと思う。


災害時に暴動の起きない日本。
これを守らなければならない。

まずは、不正な輩をどうにかしなければ。

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散る桜 残る桜も 散る桜 [雑談]

発射失敗 ミサイル空中分解・・・

北の関係者の方々、今後、大丈夫でしょうか・・・
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散る桜、空に北のミサイルが舞う [雑談]



産経のニュースサイトを見てびっくりした。
普段は、ニュースの見出しは白地に青の文字で、一番のトップニュースは大きな文字で書かれている。

それが今回は、黒字に白抜きでどでかく表示「北朝鮮がミサイル発射 韓国TVなど報道」と出ていた。


ついミサイルが発射されましたか。

日本のメディアでは結構騒がれているようだが、海外はどうなんだろう?韓国などは、日本以上なのだろうか?ナーバスにならざるを得ないのは、日本、韓国、中国、アメリカ、台湾といったところだろうか。


果たして、空を見上げていれば、ミサイルは見えたのだろうか。
流れ星のように見えるのか、それとも飛行機のように見えるのか、あるいはまったく見えないものなのか・・・。飛行機雲はでるんだろうか・・・。

何か被害が出たりはしないだろうか。破片が落ちてきて、人的被害でも出れば、ごめんですむ話ではないですよ、金Jrさん。

私の周辺では、空は晴れていて、雲は薄く出ているけれど、それが青と白とで混じり、空を余計に広く感じさせている。散り始めて舞う桜も綺麗で、そんな風景の後ろにミサイルが飛んでいるのでも見えたら、どんな感想を言えばいいのだろう。

いにしえの素晴らしき歌人なら、どんな歌をうたうだろう。

「春風の 花を散らすと見る夢は 覚めても胸の さわぐなりけり」

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鯰絵と神頼みコミュニケーション [これから日本の話をしよう!]

スマトラ島で地震が起き、太平洋の反対側、メキシコでも地震があった。

とくにインドネシアのスマトラ島。2004年に地震があり、それ以来、もう10年近くなるのに未だにこんな大きな地震があるのか。


日本も同じような状況になるのだろうか。

5年たっても10年たっても、巨大地震に怯えなければいけないのだろうか。


もう、達観するしかないね。地震はあるものだという前提で生きるしかない。その分、備えはしっかりしようじゃないか。


そういえば、東日本大震災のときに、ひとつ象徴的な出来事があった。

有名な話だから知っている人も多いと思うが、鹿島神宮の要石のことだ。


茨城県の鹿島神宮には、要石というのがある。地上にひょっこり見えている部分は、氷山の一角。石の大きさを見てやろうと、掘っても掘っても掘りきれないほど、その石は巨大なのだという。さてこの石は何の石か。いわれとしては、この要石は大なまずを封じているものだという。なまずといえば地震。大きな地震を起こす鯰を巨大な石で封じているのだ。

江戸時代、大地震が江戸を襲ったさいに、この要石の絵が大流行した。鯰絵という。鹿島大明神が巨大鯰を懲らしめている絵だ。


この要石があるために、この鹿島の周辺では、大きな地震に襲われることがなかった・・・


・・・のだが、先の東日本大震災。


あの時、鹿島神社の大きな鳥居が倒壊してしまったのだ。

石でできている、何メートルもある大きな鳥居が、根本からポッキリと折れてしまった。


要石は健在だが、この神社を象徴する鳥居の倒壊は、衝撃的だった。

いや、衝撃も何も、実際は鳥居が倒れたからといって、その実損害以外に、何かが起こるわけではない。それ以上でもそれ以下でもないのだが、こういったものに、日本人は弱い。


話は思いっきりそれるが、私は神頼みというのは、その一連の行為を通しての、神さまとのコミュニケーションだと思っている。ここで言うコミュニケーションとは、対人とのコミュニケーションとはもちろん異なる。神さまという存在を想定・仮定して(こんなこと言うと怒られるか)、自分の思いや思考を振り返り、整理し、どうありたいかを考える。思いをめぐらす。

仮想のコミュニケーションだ。

ある時は思考を助けてもらい、ある時は、自分の決断・覚悟を見守ってもらう。


自分自身の枠組みを、限界を、思考を飛躍させるための、ひとつの方法だ。或いは意思決定の決断補助、もしくは精神的リラックマだ。ああ、毎度のことだが、自分が何を言っているのかわからなくなってきた・・・。


ところで鯰絵、ほしいなぁ・・・。
絵の上手い人に描いてもらい、売り出したら売れるかな?
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