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魔女狩りと、てるてる坊主。 [これから日本の話をしよう!]


これから日本は、雨の季節になる。

鬱陶しい季節だ。ジメジメするし、外に出にくいのでストレスがたまる。

子どものとき、晴れてほしくて作っていたのが、てるてる坊主。


よく吊るした。


ところで、逆に、雨が降らない場合はどうするか。

てるてる坊主を逆さにする?


このように、自然による災害、例えば豪雨や川の氾濫をとめたい、あるいは日照り続きで雨がふらない、そのような時。

人がすがるのは、超自然の力だったりする。
しかし、それは簡単には手に入らない。それなりの代償を払わなければならなかったりする。

例えば、そう、人身御供、人柱など・・・。


そういえば、吊るされたテルテル坊主って、何かに似ていないかい?

奇妙な果実って、ご存知だろうか?

アメリカの人種差別を告発する歌だ。

奇妙な果実

奇妙な果実

  • アーティスト: ビリー・ホリデイ
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
  • 発売日: 2011/06/22
  • メディア: CD



奇妙な果実って、なんだ?


それは、木から吊るされた、黒人の死体のことだ。

リンチをして、首を縛り、木から吊るして、火をつけて燃やす。


「人のすることじゃねぇっ!」と言いたいところだが、こんなことをするのは人くらいなもので、百舌でもそうは及ばない。

この歌がかかれた経緯は、ユダヤ人教師のエイベル・ミーアポルが、この事件の新聞記事を見たことをきっかけとする。
1930年のことで、そんなに遠い昔のことじゃない。なのに、当時のアメリカでは、黒人の虐殺が日常茶飯事だったのだ。



てるてる坊主って・・・。



話は変わるが、歌と悲劇で思い出した。



日本の神さまの特徴の1つに、怨霊が鎮められて神になる、というパターンがある。天神様はその1つの好例。政治的理由により排斥された菅原道真の怨念が生み出している。

その天神様が登場する童謡「とおりゃんせ」には、どのような意味がこめられているのだろう?

通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細通じゃ
天神様の 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに 参ります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
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私たちが守るべき真実のアテナ [これから日本の話をしよう!]

今朝、早くに目が覚めてしまい、なんとなくボケ~っとテレビを見ていたら、テレビアニメが流れ始めた。昔やっていたマンガの新バージョンらしい。

実は昔のバージョンのものについても、私はあまりよく知らないのだが、以前の知識と今回見たところの情報を総動員させて考えてみるに、今回の新バージョンのストーリーは、こんな感じになっている。

・主人公達は、アテナという女性を守るべき戦士である。

・主人公は一人前の戦士になるべく、戦士を養成する学校のようなところ(以下、学園とする)にいる。

・アテナ達の対として、闇の力をもつ巨大な敵の一団が存在している。

・アテナを守るべき学園は、実は知らぬうちに敵の手のうちに落ちていた。

・学園長(?)が裏切り、敵方についていたためだ。

・敵方は、ある少女を偽のアテナとして、その座につかせている。

(上記は間違いもあるだろうが、多少のところはスル―してほしい)

聖闘士星矢Ω 1 [Blu-ray]

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自分達の一団のトップが、陰謀によりすり替えられる。これは現実の世界でも、歴史でも、よく見られる構図ではないか?

このアニメのなかで何が一番不幸かというと、本来アテナを守るための戦士たちが、その反対方向のベクトルに動かされているところだ。アテナの敵と戦うべき存在が、敵の利となってしまっている。


節分の、「鬼は外」の鬼、桃太郎に退治される鬼。河童やダイダラボッチなどの妖怪。
それらは、古代の大和朝廷に負けた側を指しているのではないか、という説がある。

勝てば官軍、負ければ何とやら。


大和朝廷の一族は、天孫降臨したと言われている。九州に、天孫(ニニギノミコト。アマテラスの孫)が降臨した。

文字通り、空から降ってきた?
おそらく違うだろう。普通に考えれば海の向こうからやって来たのだろうが、本当のところはよくわからない。彼らは「東に都をつくる、いい土地があるよ」と聞いて、勢力を東に伸ばす。神武東征だ。海路陸路で近畿地方に向かい、あちこちで地場勢力と戦う。

そこには土蜘蛛とよばれる一団や、ナガスネヒコ(長い脛)などが出てくるが、これは鬼や妖怪の原型かもしれない。


征服するものがいれば、征服されるものがいる。

我々は征服された側の末裔かもしれない。


征服する側は、どうだったのか。
海の向こうから来たのだとしたら、もともとのご出身は外国なのだろうか。
よくわからない。

ひとつの説には、征服する側にも、3つほどの勢力があったのではないかというものがある。
出雲の勢力、アマテラスの勢力、そしてもう1つの勢力。
前者の2つは追い出され、最後の1つが残った。
アマテラスはそもそもの元にある神だが、今の地、伊勢神宮に落ち着くまでに点々とされ、ようやく落ち着いた地は、都から遠方、当時からしてみれば未開の地に等しい場所だった。
日本の古代を記している記紀は、最後の1つの勢力の手によるものである・・・という説であり、真偽を知るすべはないものの、そういうことは十分にあり得ると思う。


日本各地の神社には、不自然なものが随分と多い。

本来祀っていた神が境内の隅に追いやられ、後から来た神が本殿に位置する。もともとの神が、客人神や門客人神などとされるケースも見られる。


はたして私たちは、征服されたのだろうか。


私たちに残る血の糸を辿っていくと、ひょっとしたら、私たちは私たちのボスを討ち取られ、服従を余儀なくされ、祖先崇拝も表だっては許されず、神社には注連縄と鳥居による結界がしかれた。征服者への服従の証しとして、服従を受け入れなかった者たちに豆をまかざるをえなかった。支配された一族の恨みは、隠語として風習や童謡のなかに隠したが、しかし今となってはその意味までは伝わっていない。

私たちはすっかりそのことを忘れてしまっている・・・のかもしれない。


なんていうのは検証のしようもないが、そういうこともあるのかもしれない。

そんなことを、朝のアニメを見て考えてしまった。


鬼の日本史 上―福は内、鬼は外

鬼の日本史 上―福は内、鬼は外

  • 作者: 沢 史生
  • 出版社/メーカー: 彩流社
  • 発売日: 1990/06
  • メディア: ハードカバー


鬼の日本史 下―福は内、鬼は外

鬼の日本史 下―福は内、鬼は外

  • 作者: 沢 史生
  • 出版社/メーカー: 彩流社
  • 発売日: 1990/07
  • メディア: 単行本


これに似たようなことは、現在も色々な場所で繰り返されていると思う。チベットもそうかもしれないし、シリアだってそうかもしれない。
60年前の敗戦後、私たちは占領下で3S政策などにより、骨抜きにされたと言う話もあるが、それも似たようなものかもしれない。

また事の真相はわからないが、昨年からフジテレビや花王について騒がれている某隣国に関連した非難も、これまでの例に類した事件が進行しつつあると捕らえられたがゆえのことかもしれない。


このような問題について考えるうえで、秀逸な小説がある。
とても短い本だが、1冊持っていて損はない。

23分間の奇跡 (集英社文庫)

23分間の奇跡 (集英社文庫)

  • 作者: ジェームズ・クラベル
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1988/07/20
  • メディア: 文庫



私たちが守るべき、本当のアテナは、何だ。


上の方でダラダラと書いたが、古代のことは最早わからない。


今、生きているのは私たちだ。


私たちにとって、守るべきものは何か。


「そうさ夢だけは、誰も奪えない心の翼だから」という歌とともに始まるアニメを見て、そんなことを考えた朝でした。

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リーガル・ハイと政治家と蒙古馬 [雑談]

最近、リーガルハイというドラマにはまっている。
・リーガル・ハイ

訴訟で一度も負けたことない破天荒キャラの古美門弁護士(堺雅人)が、オーバーアクションでふざけまくるリーガルドラマだ。この説明では何のことだかさっぱりわからないだろう。


しかし、面白い。


現時点で第6話までが終了している。

私が見始めたのは5話からなので、実は途中から、しかも2回しかみてない。けれどもハマッた。


バラエティー番組では笑いどころを暗示にかけるかのようにテロップが流れまくり、政治家はわかりやすいパフォーマンスで大衆の心をつかむ。世の中には“わかりやすさ”が蔓延し、庶民は考えることを忘れていく。

そして私は過剰演出のわかりやすいこのドラマに、見事に絡め取られたわけだ。


面白いと思ってしまうのだから、仕方がない。

古美門弁護士が、次にどんな変顔をするのか、意味不明のポーズをとるのか、屁理屈をわめき散らすのか、私は見事に引き込まれてしまっている。


私がこのドラマを見始めたのは、前述のとおり第5話からだ。
この回は、小沢一郎を彷彿とさせるような政治家のお話だった。

江守徹扮する大物政治家が、企業から政治献金を不正に受け取った疑いで告訴されるという内容。
まぁ、まんま、なわけだ。


現実の事件に目を向けると、何というか、変な逮捕のされかた、告訴のされかたというのは、確かにあると思う。私は決して個人的に好きではないが、小沢一郎やホリエモンの件は、何か人為的な意向のようなものを感じる。

また、報道・マスコミで取り上げられるものは、決して公平ではないことは、多くの人が実感していると思う。二股騒動でほとんど無名の俳優がこれでもかというくらい注目され大騒ぎされたが、あれは何だったんだろう?よし、使いふるされた、あの言葉をここで使おう。「もっと重要な事件が他にあるでしょ?」


誰かに意図的に操作されている“感”がする。
これによって、どこかで誰かが得をして、ほくそ笑んでいるのではないかという“ニオイ”がする。

悪者はどこだ。


いや、やめておこう。
出口無しの陰謀論にはまってしまいそうだ。

陰謀史観 (新潮新書)

陰謀史観 (新潮新書)

  • 作者: 秦 郁彦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/04/17
  • メディア: 単行本


リーガルドラマが古来(?)より人気なのは、そういった世の中に隠れる不正や悪を気持ちよく成敗してくれるからだろう。
水戸黄門しかり、大岡越前しかり、暴れん坊将軍もしかりだ。

暴れん坊将軍で思い出したが、あのテレビのオープニングで、松平健は白いサラブレッドに乗っているが、あの時代の馬は日本の在来馬(蒙古馬)であった。これはポニーのようなもので、つまり、あんなにカッコよく颯爽と走るイメージとは違う。


話が逸れた。

ところでリーガルハイが、そのように巨悪を懲らしめる話かというと、そうでもない(2回見ただけでは)。

単純にオーバーアクションで馬鹿馬鹿しく、面白いのだ。

一度、見てみるといい。
大丈夫、基本1話完結だし、私も途中から見て、十分見られたのだから。
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無遠慮 [これから日本の話をしよう!]

口論のすえに刃物で刺した事件の容疑者が捕まった。この事件は駅のエスカレーターでぶつかったことを発端だった。


世の中、イライラが蔓延している。


駅や混みあった場所を歩いていて感じることがある。
スマートフォンを見ながら歩いている人や、イヤフォンをつけている人の多くは、正直、邪魔だ。

人間はマルチタスクが苦手だというのは本当だと思う。人は一度に複数のことをやるより、1つのことに集中したほうが高いパフォーマンスが発揮できる。視覚や聴覚が他に気をとられていると、周囲の状況にうとくなるし、歩きがおろそかになる。人ごみでは尚更で、恐らく本人たちが思っている以上に、人の流れに乗れていない。



世の中、イラッと来ることが多い。自戒もこめて、この件について考えてみよう。

七つの習慣という超世界的ベストセラーがある。

7つの習慣―成功には原則があった!

7つの習慣―成功には原則があった!

  • 作者: スティーブン・R. コヴィー
  • 出版社/メーカー: キングベアー出版
  • 発売日: 1996/12
  • メディア: 単行本


7つの習慣―成功には原則があった!

この本のなかに、こんなエピソードがある。

著者のコビー博士の体験だ。



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ある日、地下鉄に乗っているときのことだ。

車内はとても静かだった。

その静寂が破られたのは、父親とおぼしき1人の男性と、その子供達が乗り込んできてからだった。

子供達は大声を出したり暴れたりと大騒ぎ、一瞬にして車内は騒々しくなった。

父親はと言うと、座席に座り、目を閉じているだけで、注意しようともしない。

コビー博士は次第にイライラがつのった。
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これはよく見かける光景だ。

コビー博士のように、電車内でも、あるいはファミリーレストランなどでも、道端でもショッピングセンターでも見かける。


騒ぐ子供達と、放置する親、という構図だ。さて、コビー博士はどんな行動をとったのか。


-----------------------------------
コビー博士は我慢できなくなり、子供達を注意しようともしない父親に言った。

「あなたの子供達が騒いでいて、みんな迷惑していますよ。なぜ注意しないんですか?」

すると、父親は目を開け、まるで初めて周囲の様子に気がついた様子で、こういった。

「ああ、そうですね、なんとかしないと・・・。
 
 実はたった今、病院から出てきたところなんです。

 一時間ほど前に妻が、あの子たちの母親が亡くなったものですから、すみません。

 いったいどうすればいいか・・・あの子たちも混乱しているようで・・・」
-----------------------------------


以上の話は、パラダイム転換の話として紹介されている。パラダイム転換(変換?)は、ものの見方や考え方が大きく変わることをさしている。興味のある人は読んでみるといい。

7つの習慣―成功には原則があった!

さて、私達は相手を気遣うということが、苦手になっている。

朝の満員電車で足を踏まれた。カバンがぶつかった。肩が触れた。

そんな時。

「何か理由があるのかな?
「きっと、忙しくて大変なんだろうな」
「ムシャクシャすることでもあったのかな?」

な~んて思う余裕なんて、まったくない。


最近、ある高額所得の芸能人の母親が、生活保護費を不正受給していたのではないかとのニュースを見かけた。

事の真相はわからない。そして私はこの件について深くはしらない。が、きっとこの親が言うだろうことは、想像できる。「息子に迷惑をかけたくなかった」。この芸能人の親はそんなことは言っていないかもしれない。しかし、このようなことを言っている人を身近で見たことがある。家族には迷惑をかけられない。


この言葉は、かつては、こういう使われ方もしていたはずだ。

「世間様に迷惑をかけちゃいけない」


少し前にこのブログでも紹介したが、村八分と言う言葉がある。地域の生活における共同行為のうち、2つ分を除いて8つ分をはじくので、村八分。

はじかれるのは、
成人式、結婚式、出産、病気の世話、新改築の手伝い、水害時の世話、年忌法要、旅行。

はじかれないのは、共同体に影響のある2つ。
葬式、火事。


日本の昔は、セーフティーは地域の共同体だった。生活が厳しくなれば、周囲の人々に頼らざるを得なかった。ところが今は、地縁なんてほとんどない。助けてくれるのは国、自治体。顔の見えない人たちが、制度として、事務作業的に、助けてくれる。

必要な人に救いの手が伸びないという矛盾も生じているようだが、その反対に、不必要に制度を“活用”する輩もでている。個の時代とは、こういうことなのだろうか。


縁がなければ、無遠慮になる。

縁が遠くなって、慮る(おもんばかる・・・思い巡らす)ことが無くなる、ということだ。


満員電車でもエスカレーターでも、社会のセーフティーでも、根っこは同じであるように見える。
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恐山と、生死の暗闇 [これから日本の話をしよう!]

最近気になっている本がある。
時間がないので読めないのだが・・・。

恐山: 死者のいる場所 (新潮新書)

恐山: 死者のいる場所 (新潮新書)

  • 作者: 南 直哉
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/04/17
  • メディア: 新書



恐山の禅僧が語る、日本一有名な霊場・恐山についての本。

恐山は、生者と死者が交差する場。

仏教的には我、霊魂の存在は否定している。
しかし、六道輪廻の考えがある。この矛盾は唯識論に見る阿頼耶識(アラヤシキ)で説明できるのかもしれないが、私にはよくわからない。仏教は奥が深すぎて、生半可な私の手に余る。


しかし、私達にいやでも関わってくる生き死にの問題は、やはり不思議であり、興味がある。好奇心をそそられる。


例えば科学的に考えて、霊魂の存在を否定したとする。


しかし、私達が生まれ、あるいは死ぬときには、私という何かが生じて、そして無くなる。
それは、なにか。その正体は何だろう?


宇宙の始まりがあったとして、ビッグバンが生じる前には何も無かったのか。生じる寸前、そこには何かがあった。存在するものがあった。

まさに空海の言うとおりだ。

「生き生き生き生きて生の始めに暗く

 死に死に死に死にて死の終わりに冥し」

 (空海「秘蔵宝鑰」 こころの底を知る手引き ビギナーズ 日本の思想 (角川ソフィア文庫)

始まりも終わりもわからないのだ。


だから、そこにつけ込んで、色々な宗教が発生するし、なかにはタチの悪い商売もある。というか、タチの悪い商売のほうが多いんじゃないか?


とにかく。
オウム真理教のテロ以降、私達は宗教に対して悪いイメージを持ち、距離を置きつつも、スピリチュアルやパワースポット、あるいは占いといった代替品を気軽に用いて、私達の日常を逸脱した問題にアプローチしている。

我々は、生き死にといった不思議で身近な問題に、興味を持たざるを得ない。


恐山というところは、一度は行ってみたいところだ。死と生とが交差する場所。
しかしそこは思いが多すぎて重い。気軽に足を運べるようなところではない。

そんな恐山で住職代理を努めた禅僧の恐山論。ぜひ聞いてみたいじゃないか。



日本人は昔から、死者は山に登ると考えていたようだ。山と死者。結構我々と身近な問題かもしれない。

いくつかのアマゾン・レビューをみると、変にスピリチュアルに偏っていないそうだ。
ならば尚更読んでみたい。

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うす曇で金環日食を楽しむ [雑談]



都内では173年ぶりとなる金環日食を、私も楽しめることが出来た。

日食グラスを入手できなかったのだが(白状)、空を覆ううす雲のおかげで、肉眼でも太陽のリングを見ることができた。
がしかし、肉眼で楽々見られたのは、都内で金環日食がスタートする7時32分より少し前。7時30分前後だろうか。

その後はいくらうす雲がはっているとはいえ、直視できない。雲の量が少ないのだろうか、雲越しでも陽の光は強かった。目がチカチカしてしまう。


太陽を見ずとも、雰囲気は楽しめた。
周囲の景色は、ほのかに薄暗い。
太陽が頭上にあるというのに。

周囲は、まるで夕立のふる前のような、明け方のような、セピアがかった色だった。


曇り空のおかげで日食を楽しむことができた。が、やはり日食グラスは買っておくべきだったかもしれない。
タグ:金環日食
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金環日食の楽しみ方 [雑談]


今話題の金環日食だが、もちろん私も世紀の天体ショーに参加しようと思っている。次に日本で見られるのは数百年後だとか。珍しい現象が、別に私が移動することなく向こうからやってきてくれるなんて、とても贅沢なことだ。旅費0の旅行だ。


しかし、この天体ショーを前にして、私は決めていることが1つある。それはサングラス(日食観測専用の眼鏡、日食グラス)などを使って太陽を直接みないようにする、ということ。

そう、私は太陽を見ないつもりだ。


だって、直接見たら目がつぶれちゃうわけでしょ?
かといって、日食グラスなどを使ってみたところで、その映像(?)はテレビなどを通して、詳細に、綺麗に見られるわけで。

だから私は、空の様子だとか、雲だとか、周囲が少し暗くなるのだろうかとか、木や草の陰であるとか、五感を使って存分に、その場の空気を楽しみたいと思っている。


ああ、認めよう。
確かに私は日食グラスを買いそびれた。

日食グラスがまったく売っていないわけじゃない。あるにはあるが、近所の店に売れ残っている、ちょっと割高そうな日食グラスを、一瞬のために購入したくないというセコイ思いもある。けど平気だ。やせ我慢じゃない。


平安時代や縄文時代に金環日食がおこったとしたら、その時代は日食グラスなんてないわけなんだ。彼らと同じ楽しみ方をするのだ。私は。



ないなら、ないなりの楽しみ方を見つけるのだ。

楽しみは、自分でつくるものなのだ。

私はそうやって、この金環日食を楽しもうと思っている。

全然悔しくない。
タグ:金環日食
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五感が不感で互換できない [雑談]

新鮮なものを新鮮だと思えなくなるのって、何だか悲しいね。

五感が不感症になっている。


必要最低限の動作で必要最低限の生活ができちゃうからね。

空が青かったり、新芽が出ていたりしても、気がつく余裕もなければ感動する必要もないからね。


もし私が宇宙人で地球侵略を狙っているとしたら、木の葉や道端の花を隠れ家にするだろうね。どうせ誰も見ちゃいないし。
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血縁、地縁、社縁 [これから日本の話をしよう!]

私は週の半分くらい、朝の満員電車に乗る。
あれは何なのだろう?

混むのはしょうがない。

人が多すぎると思うのだが、私もその一因(一員)だ。


降りる人の流れに抵抗し、いいポジションを確保しようと頑張る人がいる。流れに逆らったり、動かなかったり、あるいは新たに乗ってくる人に自分のテリトリーを邪魔されないように、梃子でも動かないかのように固まり、頑張りすぎる人がいる。入り口近くを陣取りたいのか、まだ詰められるのに、新たに人が乗り込んでこないように壁のように立ちはだかる人もいる。


これらの人は非常に迷惑だと思うのだが、彼らが悪人かと言うと、そういうわけではないだろう。


昔、電話ボックス(懐かしい)に何人詰め込めるかという実験があった。
リハーサルで、まずは詰め込まれる。ぎゅうぎゅう押して、入っていく。
その後休憩をはさみ、本番。
ところが、リハーサルよりも入らない。

その理由は、被験者同士が知り合いになってしまって、気を遣い合うようになったところにある、というもの。


これは、ありそうな話だ。


遠慮なく人を押し込めるのも、他の人が入れないように立ちはだかるのも、自分のテリトリーを確保すべく意地悪するのも、相手が見ず知らずで、恐らく今後も知り合う可能性が低いからに他ならないから、だと思う。

私は、その感覚が、至る所に蔓延しているように思える。

血縁は小ロットになった。
地縁も薄れている。
社縁だって、壊れかけているじゃないか。


縁が薄れれば、エンリョもなくなる。


日本的な村社会のシステムというのは、嫌なイメージがある。重苦しくて、陰湿で、息苦しいイメージだ。しかし、本当に、そんなに悪いものだろうか?

確かにべったりとした、村社会システムは、私も嫌だ。しかし、そこに含まれていた相互扶助の仕組みは、実はとても大切で、うまく機能する部分もあった。


村八分という消極的制裁がある。子どもっぽくいえば、“絶交”だ。
この言葉には、嫌なイメージしかない。


しかし、なぜ八分なのか、なぜ十分(全部)ではないのか、考えたことはあるだろうか?


村八分とは、10ある交際のうち、2つだけを残してのけ者にするというものだ。

では、残された2つとは何か。

葬式と、火災の消火活動だ。この2つには実用的・必要性があるのだが、それにしても全てをのけられるわけではない。

だからどうしたと言われればそれまでだが、今、この私達の社会の進歩した部分を合わせて再設計すれば、村社会システムはもっと良くなるのではないかと、私は思う。そう、“改良版”村社会システムだ。


宗教的な寄る辺のない日本人にとって、“改良版”村社会システムは必要不可欠だと思う。


ネット上で、この村社会システムが機能し始めている場所もあるように感じる。しかし、私はそれが良いとは思えない。ネットを活用するにしても、そこでバーチャルな関係ではなく、実社会上の血縁、地縁、社縁が必要だと考える。

血縁、地縁、社縁・・・そう考えると、こう主張している私ですら、「何だかめんどくせーなー」と思ってしまう。

困ったものだ。



つらつらつら・・・。

自由と無責任は違う。だけど、往々にして混交している。

悪貨が良貨を駆逐する時代に思えてならない。
タグ:血縁 地縁 社縁
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情報操作と歴史の裏表 [これから日本の話をしよう!]

少年犯罪や凶悪犯罪は増えていそうだけれど、実は増えていない・・・というのは、割と有名な話だ。気のせいらしい。

2円で刑務所、5億で執行猶予 (光文社新書)

2円で刑務所、5億で執行猶予 (光文社新書)

  • 作者: 浜井浩一
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2009/10/16
  • メディア: 新書


この本「2円で刑務所、5億で執行猶予 (光文社新書)」によれば、昔は良かったなんて大うそ。オールウェイズ3丁目の夕日の懐かしの昭和は、少年犯罪や凶悪事件が非常に多かった。


報道による情報量の多さで、私達の印象は影響を受けてしまう。
センセーショナルな少年犯罪が起きれば、報道は全国津々浦々、隅々まで少年犯罪を探しに行く。

話題となる交通事故が起これば、そのようなニュース一色になる。


いや、メディアだけの責任だけでなく、私達自身にも理由があるかもしれない。

いわゆる「カクテルパーティー効果」というやつで、雑多で騒がしい場所でも、自分に関係のあるもの、興味のある言葉であれば聞こえてしまうという、あれだ。


情報が非常に多くなるなかで、それをコントロールして自分の都合のいいように使おうとする輩も出てくる。

どこまで本当かわからないが、例えば小泉元首相などはマーケティング会社を使って、無知で影響を受けやすい人たちをB層とセグメントした。

ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体 (講談社プラスアルファ新書)

ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体 (講談社プラスアルファ新書)

  • 作者: 適菜 収
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/08/19
  • メディア: 新書


ここで言われるような、B層的な要素は誰にでもある。郵政解散選挙では小泉に票を入れ、先の総選挙では民主党に票を入れ、今は民主党にブーイングをぶつける・・・そんな人は多いのではないか?だからといって、“不動のB層”なんてないと思うけど。

とにかく、小泉元首相はB層に向けて、わかりやすいメッセージを発し、わかりやすく敵と味方を提示し、世論の支持を取り付けた。


世界に目を転じてみよう。

イラク戦争時の、オイルまみれの海鳥や、被害を受けた子どもたちのインタビュー。そこにヤラセがあった・・・とか何とか、言われている。

政府は必ず嘘をつく  アメリカの「失われた10年」が私たちに警告すること  角川SSC新書

政府は必ず嘘をつく アメリカの「失われた10年」が私たちに警告すること 角川SSC新書

  • 作者: 堤 未果
  • 出版社/メーカー: 角川マガジンズ(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2012/02/10
  • メディア: 新書


中東の春は、どうだったのか。最近まで盛んに報道されていたシリアの情勢は、どうだったのか。ある一方にばかり、都合のいい情報が流されたということはなかったのか。

きっと、あったんだろう。



情報は、操作される。時の権力者に、都合のいいように。

また、日本にその視線を戻してみる。

いつでも、ひとつ前の時代は悪い時代だ。

最近までの私達にとって、戦前は悪だった。
明治にとって、江戸時代は悪だった。
武士の時代にとって、荘園、貴族の時代は悪だった。

前の時代を否定する。
そして、新しく塗り替える。


例えば東京。
徳川が入り、それまで田舎だった江戸の地は、一気に発展した。
しかし時代が変わり、塗り替えられる。

江戸は東京という味気ない名称に変わり、江戸城の主も変わる。
仏像は破壊され、破毀される。
神社は統廃合され、地元のカミは氏子たちから取り上げられる。


私は、鬼や天狗、あるいは被差別民といったものは、遥か遠く、元を辿れば、かつて争いに敗れた敗者だと思っている。

そう、具体的な悪事は何も知らされていないのに、節分には豆をぶつけられ、物語では何かと退治される、異形の鬼たちだ。

これは、別に私のオリジナルの考えでも何でもない。よく指摘されることだ。

物事にはとかく、裏がある。情報には必ず、色がつく。
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