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生活習慣病のリスクにさらされる僧侶 [雑談]

仏教国スリランカの政府は、僧侶の食事管理について、指針を出すことにしたそうだ。
今スリランカの僧侶たちは、美食のせいで生活習慣病のリスクにさらされているのだという・・・。


というのも、スリランカの僧侶たちは、基本的に食事を自分たちでつくらず、寄進を受けてまかなっているのだが、信者たちは、「おいしいものを食べてもらいたい」と味付けの濃い料理なりがちなのだという。

で、どんどん太り、糖尿病などの生活習慣病のリスクにさらされているのだ。


なんてことだろう。

味付けの濃い料理って・・・。もしかして、肉やなんかも含まれているのだろうか!?


以前、これは日本の国内の坊さんの話だが、とある坊さんが、お歳暮やお中元、盆や年末などに煎餅や和菓子を持ってこられることが多くて困る、と言っていた。いや、困るとはっきりといったわけではなく、すごくあるんですよ、と。食べきれないくらいに。大量に、と言っていた。

和のイメージがあるから、煎餅や和菓子を持っていくのだろう。

なんにせよ、平和な話題だなぁと思う。
(生活習慣病のリスクにさらされた僧侶には悪いが・・・)
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日本人にしか分からない行動原理 [これから日本の話をしよう!]


年末ジャンボ宝くじが発売された。2012年の今年は1等前後賞あわせて6億円だという。1等が4億円、前後が各1億円。人生を2回楽しめる、大金である。

発売日の今日(26日)、宝くじの聖地といわれる銀座や有楽町では、さっそく大行列ができたようだ。有楽町マリオン前では3時間待ちだという。多くの会社はこの辺が給料日だろうから、そのうちの何割かを早速吸い上げる。

有楽町や銀座に列ができるのは、過去、その売り場で大当たりが何度も出ているからだ。しかし、確率論で考えれば、この売り場に並ぶのは不毛である。なぜなら、当たりが出ているのは、それだけ売れているからだと思えるからだ。買う場所なんて関係ない。売れている枚数が多ければ、それだけ当たりが出る可能性が高いし、それだけ売れていれば、競争率(?)もその分、高い。


しかし、“当たりが出ると言われている”売り場に、並びたくなる気持ちもわかる。


日本人はとかく、ゲンを担ぐ。井沢元彦さんのいうところの、言霊と同じだ。
明日飛行機で旅行に出るという人に、「飛行機が落なければいいですね」とは冗談としても言えない。普通に考えれば、1人の人間が言った言葉が現実になるなんて、あるわけがない。しかし、言葉に出すこと自体をさける。縁起でもない、というやつだ。

室寿ぎ(むろほぎ)というのがある。
新築の家を、言葉で褒めることだ。これはマナーとも言えるかもしれない。
このような言葉のゲン担ぎは、結婚式での祝儀の札数、禁句、受験時期での禁句など、色々なところで見かけることがある。


以前、何かのコラムで読んだのだが、
某宅を訪問したとき、営業マンがいて、その営業マンが当家の子供を「素晴らしいお子さんですね~」と褒めていいた。それを見て、そんな媚びているような人は信用できない、と感じた・・・
そんなことが書かれていた。確かにその営業マンは売らんがために大げさに物をいったのかもしれない。しかし、大げさにものを褒めること自体、悪いことではない。


今の時代は自分に関心が行き過ぎているがために、褒められても、それが本心かどうかが気になるのかもしれない。

そんなの、本心でいったら大したことのない小さな人ばかりですよ。

大げさに褒めるのは、縁起のいい言葉を並べるのと同時に、そうなって欲しいとの期待もあるのだろうと思う。

言う人によって、印象が変わるかもしれない。田舎の年老いたお婆ちゃんが、久しぶりに顔を見せた孫に「ずいぶんと、立派になって」と言えば、孫としても背筋を伸ばしたくなるだろう。


ゲン担ぎはロジカルに考えれば、不毛な行為であり、時間の無駄でもある。

しかし、日本人であれば、ゲンを担ぎたくなるだろう気持ちはわかる。
考えてみれば無駄だと思うし、自分はそんなことはしないかもしれない。しかし、気持ちはわかる。

でも、もしかしたら、そう遠くない将来、そんな気持ちはまったくわからない、という日本人が出てくるか、或いは多数派になるかもしれない。

日本人であれば理解できた小さな風習、他の外国人などには理解できない行動や考え方。

もしそんな世の中を、私が見ることができたとしたら、改めて“日本人であるとは何だろう”と考えるだろう。
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人生の消費と強みの発見 [雑談]

人生というのは、ぼうっとしていると、本当に無意味に過ぎてしまう。

筋肉は意識して鍛えなければ、効果がないらしい。
また、ただ単にダラダラと走っていても、マラソンは早くなれない。


人生も同じだ。


ただ毎日を過ごすだけでは、人生を消費しているのと同じだ。


とはいえ、まるで鍛錬するように人生を過ごすというのも、難しい。
具体的に何をするの?と聞かれるのも、しんどい。

やはり、目的をもつしかないだろう。

そんなこんなの“人生の迷子”は、多いんだと思う。

だから、この本がいつまでもアマゾンのベストセラーに並んでいるのだ。

さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす

さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす

  • 作者: マーカス バッキンガム
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
  • 発売日: 2001/12/01
  • メディア: 単行本


この本は私も読んだことがある。

1冊1冊にIDが付与されていて、ウェブサイトにアクセスして才能チェックをする。ストレングスファインダーというやつで、自分の強みを発見できるというテストだ。20分前後の時間が必要なので、もしやるのなら時間を確保して臨むように。

気をつけるべきは、古本ではダメということ。すでにIDを使われている可能性がある
買うのであれば、必ず新刊にすること。

で、やってみると結構面白い。
テストの結果そのものよりも、テストの過程と、結果を見ての振り返りにこそ、その要諦があるのではないかと感じる。

まだやったことのない人には一度やってみることをお勧めする。その際には、間違って中古を買わないように。なに、1700円程度の出費で楽しめるのだ。安いものさ。
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真冬のひまわりのように・・・ [雑談]

誰もがさぁ、胸の奥にね、秘めた迷いというのがあって。

その中で手にしたぬくもりを、さ。

それぞれに抱きしめてるわけだよ。

そして、新たなる道を行くわけさ。



何が言いたいのか、わかる人はいるだろうか?

何の理由もないんだろ、と言われればその通りだが、上はある歌の歌詞である。少しリメイクしているが。



誰もがさぁ、胸の奥にね、秘めた迷いというのがあって。

の中で手にしたぬくもりを、さ。

それぞれに抱きしめてるわけだよ。

そして、新たなる道を行くわけさ。



でも、そういうのってあるよね。
少なくとも、私はあるよ。

この部分だけなら、色々な意味にとれるよね。
人それぞれ、十人十色。


なんでこの歌を思い出したかというと、例のあのドラマを見てだった。
遅咲きのヒマワリ。

歌もあれだが、どちらかというと、“遅咲きのヒマワリ”そのものにある。

毎回、ドラマのどこかで、遅く咲き始めようとしている向日葵が出てくるんだけど、それを見て思い出したんだ。


真冬のひまわりのように鮮やかにゆれている、てとこ。

ふと。

確かに、過ぎ去ったあの時に置き忘れたものを、もう一度手にしたいと思うこと、あるよな。

取り返しってきかないよな。
過去はもうどうにもならない。
でも、リカバリーはできる。

頑張れよ、順一。
よし、私も、明日もがんばろう。
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あゆに新恋人・・・。 [雑談]

あゆに新恋人・・・。
よくわからんが、最近のこの人は、なんか幸せになれるイメージがない・・・。

余計なお世話か・・・。
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ここまで来たか!?最悪のステマ [雑談]

突然、携帯に着信。
045-で始まる、見知らぬ番号。

出てみると、証券会社のような名前の会社の、投資マンション勧誘のセールス電話だった。
とにかくデカイ声で、一方的に話す。断っても断っても、切らない。どこでこの番号を知ったのかと聞くと、名簿屋で買ったと悪びれる様子もない。とにかく、何を言っても切らない。

何を言っても電話を切れないので、仕方なく一方的に切断した。

で、気になって、先ほどの会社名でググってみると・・・。


驚いた。

社名に、評判や迷惑、ブラックという言葉を&してでググると、上位に出てくるのは、こんな感じのブログだ。

ブログタイトル
「評判の●●(社名)で借りた×××」
「●●(社名)の人×××××、あれから迷惑電話かからなくなったよ」
「●●(社名)、評判、迷惑、迷惑電話」
「ブラックラグーンと●●(社名)」
「ブラックジャック好きが●●(社名)を使って××し」
(注:●と×部分は、一応伏字にしました。)


なんて不自然なタイトル・・・。

そう、このキーワードで検索されるだろうことを予想して、そういったキーワードを配置した大量のブログが作られているのだ。中身は内容のない文章がチラッとかかれているのみ。


ぞぞぞ~、としましたよ。


あの電話を切らせない執拗さ、無遠慮で無意味に大きな声・・・。
こんな奴らがたくさんいて、そして大量のブログもせっせと作っている・・・。その労力、その環境・・・。


これらのブログの意図は何だろう?
わからないが、私は検索結果を見て思った。

「こりゃ、ググるの馬鹿らしいな」

調べる気をなくさせる・・・。


これをステマ、ステルスマーケティングというのは、正しいのかどうかわからない。

しかし、入手されたくない情報があったとして、ガラクタな情報でも、大量に投下されると、調べる気をなくされる。木を隠すには森。スプーンを拾おうと思ったら、上から大量のスプーンを落とされたようなものだ。推測できる相手の意図は感じつつも、決定的な証拠は得られない。

ある意味、あっぱれというくらいに開き直っている。迷惑・評判・ブラックというのを、直そうという意思はなく、徹底的に隠そうという魂胆しか見えない。

まったく、なんて会社だろう・・・。
タグ:ステマ
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末法と、マヤのなんとか。 [雑談]

そういえば、ふと思い出したのだが、今年はマヤがなんとかで、世界や人類がどーにかなっちまう年ではなかったっけ?

私は数年前に、この2012年の「重大な何か」説を知った。
5年くらい前かな?いや、もう少し最近かな?

詳しくは覚えていない。

「これ、“知っている”人のあいだでは、すごく有名な話なんだよね」

と、ある人にニオワサレタ。

最初は人類が滅亡するのではないかと言われていたが、その後、滅亡ではなく進化だ、ということになり、その後、よくわからないが、「重要な出来事」が、もしかしたら私たちに気づかないところで起こるのかもしれない、となった気がするが、私は話についていけていない。

もし仮に、人類が滅亡するのだとしたら、こんなに一生懸命になって世界中の有力者たちが選挙を行わないだろうから、やはり滅亡はないのだろう。

日本でも末法思想が流行ったとき、貴族たちは競って寺や仏像を飾り立てて極楽浄土を願ったという。本気で金で死後の幸せを買えると思っていたのか、それともそれくらいしなければ安心できないほどの後ろめたい悪事に手を染めていたのか、理由はわからない。

いずれにせよ、死の間際に慌てふためいたり、自分の人生を猛烈に後悔したりするような人生は送りたくないものだ。人生に満足するのは無理だとしても、「ああ、やり残したことは山ほどあるが・・・まぁ、仕方ねーか」と思えるくらいにはなりたい。
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日本にも伝わる、気高き“うんのこ”の話 [妄想の日本史]


なんなんだ、排便人形て。

スペインではこんなもんがクリスマス恒例なのか・・・。

<翌年の豊穣(ほうじょう)、希望、繁栄の象徴とされ、>

なに?豊穣だから排便なのか!?

むぅ・・・。



一理あるな!

日本の古代の神話にも、うん●の出てくる話がいくつかある。

あれは豊穣への祈りだったのか!?


有名なところでいえば、素戔嗚尊だ。彼が御殿にう●こを撒き散らしたという言い伝えがある。
スサノオといえばヤマタノオロチを対峙する神話上のヒーローの一人だが、活躍以前の彼はだいぶ困ったさんだったのだ。

また、一節には、スサノオがうん●をし、気がつかずにアマテラスがその上に座ってしまい、う●こ臭くなってしまったという。ショックにブチギレてアマテラスが奥に引っ込んでしまったのが、かの有名な岩戸隠れの真相である、という説がある。

どっちにしろ、スサノオの行動は凄まじい。この時、かれはなが~く髭を伸ばしているくらいの“分別”のある大人であったし、何より神だったのに・・・。

その他にも彼はいい年してワンワン泣いたり、馬の皮をはいで機織り小屋に投げ込んだりと、いろいろしているのだが、それは今(●んこ)の話には関係ないので、置いておこう。


さらに、彼の子ども(或いは子孫)の一人に、大国主命がいる。
オオクニヌシは、スクナヒコナと共に国づくりをした、これまた神話上の英雄の1人だ。

オオクニヌシは友達のスクナヒコナと一緒に、国を作り上げたが、一方でとんでもなくクダラナイこともしている。

ある時、仲の良い2人は議論になった。


少 「あのさぁ・・・」

大 「ん?なに?」

少 「おれ、ずっと考えてたんだけどさ・・・」

大 「うん」

少 「重い土をかついで遠くまで行くのとさ・・・」

大 「ああ」

少 「うん●をがまんして、遠くまで行くの、どっちが難しいと思う?」

大 「は!?」

少 「おれは、う●この方がキツイと思うんだよ」

大 「んなこと、ね~よ。重い土の方が大変だろが」

少 「いやいや、おれ達、結構ちからあるじゃん?だけど、うん●はメンタル面も大事だしさ」

大 「アホか、うん●なんて、いくらでも我慢できるよ。てか、一生しなくても平気だし」

少 「じゃ、かけるか!?やってみっか!?」

大 「おお、いいぜ!やってやるぜ」


という感じで、オオクニヌシは●んこを我慢し、スクナヒコナは土をかつぎ、競争を始めるのである。

これが友人知人であれば、「そのまま何処かに行って帰ってくんな」とでも言いたくなるが、この2人は日本を誇る大英雄である。先行きを見守りたい。



―何日も

何日も・・・

来る日も、また来る日も・・・

雨がふり、雪がふり、風が吹きすさび、

二人は我慢して歩き続けたそうだ。


そして、勝負のつく日がやって来た。


「ああっ!!もうたまらないっ!!!!」


・・・そう叫び、しゃがみこんだのはオオクニヌシだった。
スクナヒコナもそれを見て、土を放り出す。「ああ、苦しかった」

「そうだな」「苦しかったな」「おいおい、俺たちどこまできたんだよ」「パねぇ!」
二人は顔を見合わせて笑い出したとさ。


そう、スサノオの血は立派に引き継がれていたのだ。


きっとこれらの神話は、豊穣への祈りが込められていたのだろう。


※ちなみに、我慢比べの話は肥料と農業をあらわしているとの説がある。播磨風土記の神話だ。スサノオの話は記紀にある。スサノオはスサぶ(荒ぶ)神であり、彼がオイタをすると地上は大損害を受けるのだ。

物語による日本の歴史 (ちくま学芸文庫)

物語による日本の歴史 (ちくま学芸文庫)

  • 作者: 石母田 正
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2012/07/10
  • メディア: 文庫



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置かれた場所で、遅咲きのヒマワリを・・・ [雑談]

自分の内に安らぎを見いだせない時は、外にそれを求めても無駄である。
~ ラ・ロシュフコー
ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫)

ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫)

  • 作者: ラ・ロシュフコー
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1989/12/18
  • メディア: 文庫



新訳 ラ・ロシュフコー 賢者の言葉 世界一辛辣で毒気のある人生訓

新訳 ラ・ロシュフコー 賢者の言葉 世界一辛辣で毒気のある人生訓

  • 作者: ラ・ロシュフコー
  • 出版社/メーカー: 日本能率協会マネジメントセンター
  • 発売日: 2011/12/24
  • メディア: 単行本


このところ、私はテレビドラマを見ることが多くなった。

そこで気がついたことがある。

最近評判のよろしくないフジテレビだが、どうやら今クールのテーマは「人との繋がり」的なものであると感じた。

有形ではなく無形のもの。

例えばキムタクの月9ドラマ、プライスレス。タイトルどおり、お金とは別の価値をテーマにしている。

初回しか見ていないが、阿部寛さんや山口智子さんの出ている、ゴーイング マイホーム。おそらく、これは家族がテーマだろう。

そして、ゴーイングマイホームと同日にやっている「遅咲きのヒマワリ」 。 生田斗真さん、真木よう子さんのドラマで、“自分探し”的な匂いのするドラマである。


この「遅咲きのヒマワリ」を、昨日見た。
実は、昨日で3話目なのだが、全て見ている。
正直、初回を見たときは、悪くはないが続けて見ないだろうと思っていた。

あらすじが私のあまり好きではない方向性だったからだ。
主人公は東京で派遣社員として働いていたが、なかなか正社員になれない。本人は深刻に受け止めていなかったのだが、そのようなところを理由に恋人に愛想を尽かされ、また実家に戻っても家族の微妙な反応に居心地悪さを感じる。貯金もなくなったことから、偶然見つけた「四万十市役所臨時職員」の職に飛びつき、四国に渡る。

田舎の村の人々とのつながり、またタイトルが示すように、いつか花を咲かせる的な自分探し的要素。

あまり好きな傾向ではないのだが、四万十の美しい風景に心を癒されながら、結局は見続けている。

ここに登場する、主人公と同世代の若者たちは、医者だったり、地元の有力者の娘だったり、かつて球児として活躍した青年だったり、様々な立場にある。しかし、誰も皆、今に不安や悩みを抱えている。

私がこのドラマを見てしまう理由の1つに、やはり私も同じなのだと、感じるところがあるからなのかもしれない。


彼らより年は上の私だが(いくつくらい上かは、伏せておこう)、今に十分満足しているのかと言われれば、途端に足元がぐらつく。

もちろん、幸せはある。
大きな不満はない。

しかし、本当に生きたかった人生を歩んでいるのかと言われると、簡単に首肯できるものでもない。

迷いはある。
迷っていることに気がついていない、いや、あるいは気がつかないふりを、しているだけで。


だから、例えば以下のような本のタイトルが、頭にこびりついて離れない。

置かれた場所で咲きなさい


置かれた場所で咲きなさい

置かれた場所で咲きなさい

  • 作者: 渡辺 和子
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2012/04/25
  • メディア: 単行本


読んでいない。
読む予定もない。

しかし、いい言葉だと思う。

置かれた場所で咲きなさい、か。

読んでいないのだが、その言葉の意味を噛みしめる。
考えてみる。

幸せは外で見つけるものではない。
内にあるものなのだろう。

ラ・ロシュフコーも、こう言っている。

自分の内に安らぎを見いだせない時は、外にそれを求めても無駄である。

だが、迷い迷いながら前に進むのである。

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日本の寺社の金儲け事情 [雑談]


私は、警察官は正義の味方ではない、と思っている。
警察官は公務員であり、彼らが守るのは国の定める正義。つまり、国の定める決め事の味方なわけだ。

では正義はどこにあるのか?

そこで私は言う。
「正義は、一人ひとりの心の中にある」

カッコつけて言っているわけではない。半ば、諦めをもって陰鬱な気持ちのなかで言っているのだ。個々人の中にる正義とは、頼りなく、不確かで、脆く弱い存在である。


寄る辺なき弱者がすがるのが、信仰である。信仰とは信じることだ。そして、例えば信仰の対象が神であるとして、その神が慈愛に満ちているのかといわれると、それはわからない。

神が慈愛を持ち合わせているとは限らない。
宗教者たちもいわずもがな、である。

冒頭のリンク先にある記事では、中国の宗教施設による金儲けを批判してる。

【中国国内の聖地や寺院に広がる株式上場や商行為を同国当局が厳しく批判している。】

さすが中国、とは言えない。
日本でも似たようなものだ。

宗教施設が金儲けをしていいのか?
難しい問題だ。

気持ちとしては、金儲けに走る宗教というのはあまり好きになれない。
お寺や神社のあからさまな金儲けは私たち一般人を“うんざり”とした気持ちにさせる。だが、そういったケースは結構多いのだ。

神社もお寺も、生活のためにお金がいる。
それは理解できる。
神社もお寺も、宗教というよりは、今や特権利権のある職業なのだから。


だから物販(お守り等)にもせいを出すし、見た目商業的なウェブサイトだって運営する。
売上に熱心なだけじゃない。生産性の向上だって着手する。

つまり、マーケティングに勤しめば、作業の合理化だってはかるのだ。


しかし、それらのやり過ぎは、私たちを非常にがっかりさせる。

勝手なイメージだが、信仰に携わる人には、志の高さを求めてしまう。自分のためでなく他人のために。強者のためでなく弱者のために。物質よりも、無形のものを。自分に厳しく、教えと真理の探求を。

全ては幻である。

さて、寺社のマーケティング活動と合理化について、私が見聞きしたケースをいくつか上げよう。

・厄除け・祈祷などを受けた人に、翌年人形(ヒトガタ)を送り、人形を使った祈祷を進める。んなもん送りつけられても処理に困るので、仕方なく支払いとともに人形を返信し、お払いをしてもらう。
・最近の卒塔婆は、手書きではなく印刷できるらしい。印刷で卒塔婆を大量にこなす坊主。
・神社の境内を切り売りし、更にマンショを立てて収入を得ようとする宮司一家。


少し前に、新宿に足を運んだ。

駅から少し離れているのだが、神社の境内に富士塚があるというので見に行ったのだ。富士塚とは江戸時代に流行した富士山信仰の1つで、ミニ富士山を作って上り、ご利益をえようというものだ。ここのは東京でも有数の高さを誇る富士塚というので、楽しみにしていた。

ところが、見ることができなかった。

工事中だったのだ。


何の工事か・・・?


なんと、高層マンションを建設するんだと。


近くには反対運動の立て看板がある。


なんでも、宮司一家が神社を維持するためのお金がないため、境内を売ったり、マンションを立てて家賃収入を得ようという考えらしい。

氏子は大反対しているが、宮司は強権を発行し、マンション建設を推し進めた。


・・・なんて話だ。

神社とは、誰のものか?
決して個人のものではない。宮司のものではないはずだ。この神社の信仰は、この宮司の敷地で始めたものでもないし、この宮司が始めたものでもない。この信仰は宮司のものでは決してない。

共同体のものなのだ。

時間軸でいえば、太古から連綿と続き、
平面的に言えば、この地域の住民みんなの信仰であり、
そこには人の思いと文化的歴史的価値と、動植物のための自然環境があったわけだ。


売却するのだとしたらキチンと公開して、氏子も含めてお金の管理をするべきだろう。

宗教が世襲になるからおかしくなるのだ。

私は境内の一部を売却、或いは家賃収入を得ること自体に反対しているのではない。
この神社は、あまりにも大きな規模でそれを行おうとしていて、神社という神聖な土地の景観を崩し、神道に必要不可欠な自然環境を奪う。まさに今、この神社はひどい有様だ。


と、部外者の私が口出しするのも変な話なので、実名は控えよう。
しかし、反対している地域の方々の気持ちを考えると深い共感を覚える。

そして非常に残念なことに、神罰は下らないのだろう。その現実に、私はとてもがっかりする。
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